昭和天皇と広島
天皇皇后両陛下は6月19日(木)~20日(金)に広島県に行幸啓されます。

1945(昭和20)年8月6日8時15分 広島へ原爆が投下されました。
約7万人が犠牲となり、年末までに14万人が亡くなられました。
昭和20年終戦直後の御製
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
(戦争の爆撃によって死んでいく国民のことを思い戦争を終わらせた。自分の身はどうなってもかまわない)
昭和天皇は昭和21年2月より全国御巡幸をご決断されました。
※御巡幸•••天皇が各地を回られること
そして、昭和22年12月7日 広島県を御巡幸されます。
広島市では戦災児育成所の原爆孤児84名にお会いになられ、原爆で頭を負傷した一人の男の子の頭を抱えるようにして、目頭を押さえられたということもありました。
奉迎場には5万人、沿道も合わせて20万人の広島市民が集まり、万歳は延々とやまなかったと言います。 GHQは広島市民の歓迎を目の当たりして驚愕しました。 日本の君民の絆は原子爆弾を以てしても焼き切ることはできなかったのです。
昭和天皇の奉迎場でのお言葉(一部抜粋)
広島市の受けた災禍に対しては同情にたえない。われわれはこの犠牲を無駄にすることなく、平和日本を建設して世界平和に貢献しなけらばならない
奉迎場へ向かわれる途中に車から平和の塔越しに原爆ドームを見つめらた時、平和の鐘が鳴ったことに寄せ次の御製を詠まれました。
ああ広島平和の鐘も鳴りはじめたちなほる見えうれしかりけり
被爆から2年という時に、平和の鐘の音に復興の気配を感じることができたのは、被爆直後から自らを顧みず広島へ尽くした人々がいたからだと思います。