概 要
○雷鳴が轟き天候が急変した「第一部祭典」
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第一部の祭典(英霊報恩感謝祭)は、福岡県神社庁神道青年会・同雅楽部の方々によって厳粛に執り行われた。 大会直前まで暑い日ざしが照りつける天候であったが、第一部の祭典が始まるや急に雷鳴が轟き、たたきつけるような激しい雨天へと一変した。 しかしこの雨も第二部の式典が始まる頃には上がった。
ちょうど10年前の「追悼・感謝-終戦50周年福岡県民の集い」(福岡サンパレス/2,300名)でも、 主催者が開会の辞で「50年前の終戦の日は今日のように(太陽の照りつける)大変暑い日でした」と述べたが、 外では天候が急変し激しい雨が降り出した。この時は2回に亙って約1時間余り降り続いたが、行事が終了する前には上がり、帰路についた参加者には全く影響がなかった。 今回も同様であった。
○第二部式典では小野田氏より約一時間に亙る講演
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第二部の式典では、小野田寛郎氏((財)小野田自然塾理事長)より「21世紀を担う日本人へ」と題して約一時間に亙ってご講演を戴いた。 講演の中で小野田氏は、①開戦の詔書を読んで戴きたい。何故、日本が大東亜戦争を戦わなければならなかったかが分かる。 ②靖國神社の英霊に「感謝」の気持ちを持って戴きたい。私たちは「心ならずも戦争に行ったのではない」。一命をなげうって国家を守る決意で戦場に赴いたのである。 ③日本の歴史をよく勉強してほしい。偉大な先人を知り、日本に対して、日本人である自分に対して誇りをもってほしい。と語られた。
この後、次の大会決議を行なった。
一、国家のために生命を捧げた英霊の方々に対し追悼感謝の誠を捧げるべく、首相及び閣僚は国民を代表し靖國神社に参拝すべきこと
一、主権回復直後よりわが国は「戦犯」と称された人々の名誉の回復と赦免に尽力し、一人の戦犯者も認めていない。この事実を峻厳に認識し、「戦犯」の呼称はやめるべきこと
一、国立追悼施設は中国・韓国の内政干渉に屈する証であり、慰霊とは無関係の政治的施設である。靖國神社には戦後も外国の元首や首相、外交官、諸外国の軍隊などが参拝しており、 今なおわが国の中心的慰霊施設である。
靖國神社に代わる慰霊施設の建設は全く不要であり、絶対に取りやめるべきこと同決議文は8月13日、首相官邸に送付した。
○音楽隊に合わせて全員で「海ゆかば」を斉唱
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第三部の音楽演奏は、陸上自衛隊音楽隊によって国民が愛唱してきた戦時歌謡や夏の季節の唱歌をメドレーで演奏して戴いた。 英霊の方々への追悼・感謝、そして鎮魂の思いを込めて参加者全員で「海ゆかば」を斉唱した。この後、世界的な名曲である軍艦マーチが演奏されて終了した。